さなだ消化器・乳腺クリニック |
眞田克也 |
Ⅰ 乳がんの歴史
女性の悪性腫瘍の中で最も頻度が高いのは乳がんです。
乳がん診療の歴史は古く欧州では古代ギリシャのヒポクラテス(紀元前460-370年)が乳房の塊のスケッチで“カニの様な”という記述を残しており、これが今日のcancer=癌という語源になりました。わが国では世界に先駆け1804年に花岡青洲(1760-1835年)が全身麻酔下に乳癌とその周囲組織を含めて切除しました。ただし、この技術は門外不出だったため世界で全身麻酔下の乳腺切除が行われるのは1846年まで待たねばなりませんでした。
Ⅱ 乳がんの治療
現在は手術治療に加えホルモン治療、放射線治療、化学療法と様々な治療法が開発されております。それぞれが目覚ましい効果をあげており将来は手術をしなくても治せる時代がくるかもしれません。手術治療は、以前は筋肉やリンパ節を一塊で切除しておりましたが、たくさん取らなくても(取り過ぎなくても)生命予後には影響しないということが分かってきました。そのため部分切除や、一部リンパ節を取ってきてそこに転移がなければもうそれ以上はリンパ節をとらないといった手術が主流になってきました。不幸にして全部切除する場合も、自分の体の一部をずらしたり人工物を入れたりして再建し、できるだけ外見では目立たないようにする手術も保険診療でできるようになっております。
Ⅲ 乳がんの疫学
乳がんに罹患する患者は急速に増加しており、2014年には日本人女性の生涯罹患率(一生の間に乳癌になる確率)が9%を越えました。実に11人に一人が罹患する状況になったという事です。近い将来、最終的には7人に一人が罹患する状況になるだろうと予測されております。一方で、癌としての悪性度は他の癌と比べて決して高くなく、乳癌の10年生存率は83.9%と前立腺癌、甲状腺癌についで良い成績となっています。
乳がんを放置しておくとどうなるでしょうか。現在では無治療の事が少ないので報告例がないため過去のものになります。英国のMiddlesex病院で1805-1933年の間転移性乳がん患者(すでに遠隔転移を有する患者)250人を無治療で観察したところ生存率は3年が44%、5年18%、10年4%だったそうです。その50%の患者が亡くなる期間は2.7年でした。¹⁾ このように遠隔転移をきたした乳癌症例において、無治療でも長期生存例が存在するということが知られております。
以下が我が国のがんによる死亡者数と罹患数です。
2017年がんによる死亡者数
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |
男性 | 肺 | 胃 | 大腸 | 肝臓 | 膵臓 |
女性 | 大腸 | 肺 | 膵臓 | 胃 | 乳房 |
男女計 | 肺 | 大腸 | 胃 | 膵臓 | 肝臓 |
2014年がんの罹患数
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |
男性 | 胃 | 肺 | 大腸 | 前立腺 | 肝臓 |
女性 | 乳房 | 大腸 | 胃 | 肺 | 子宮 |
男女計 | 大腸 | 胃 | 肺 | 乳房 | 前立腺 |
2011年の女性の乳がん罹患数は約72500例(上皮内がんを除く)で女性のがん罹患全体の約20%を占めます。このように女性において乳がんの罹患者数は多いのですが悪性度はがんとしては決して高くないため死亡者数が低いと言えます。
乳がんの罹患年齢は40歳から50歳代の女性に多くみられる事が特徴です。この年代の乳がんの発生率はこの20年間で約2倍に増加しています。一方、乳がんで亡くなる女性は年間12000人で、40歳から50歳代の女性における癌死亡の25%を占めており、この年代の女性にとって最も多いがん死亡原因となっています。働く世代、子育て世代に罹患・死亡することが多い事は大きな社会問題になっています。
がんは当然初期段階で見つけるほど助かる確率がよくなります。
以下の表は乳がんの10年生存率です(1990年治療開始)。³⁾
Tis:乳管内にとどまるがん。非浸潤癌(超早期)
0期:しこりや画像診断での異常な影を認めないもの
1期:2cm以下のしこりで、リンパ節への転移がないと思われるもの
2期:2cmから5cmまでのしこりがある、もしくはリンパ節への転移が疑われるもの
3a期:しこりが5cmを超えるもの
3b期:しこりが皮膚になどに及んでいるもの
4期:しこりの大きさを問わず、他の臓器に転移がみられるもの
したがって、もし乳がんになったならより早く見つけることが大事になってきます。
そのためにあるのが乳がん検診です。
また男性乳がんも全乳がん患者の約1%ほどにみられるので注意が必要です。
Ⅳ 乳がんのリスク
では、どういった人が乳がんになり易いのでしょうか。
乳がんの危険因子で確実であると言われている事は、閉経後の女性にとっては肥満です。これは乳がんの発症がエストロジェンという女性ホルモンに関与しているためです。閉経前は主にエストロジェンは卵巣で作られますが、閉経後は皮下脂肪が多いほどエストロジェンが作られる可能性があるからです。また、出産経験の無い女性に乳がん発症リスクが高い事も多くの研究で立証されています。さらに、放射線被曝、増殖性の良性乳腺疾患、乳がん家族歴なども乳がんのリスクを増加させます。血縁に乳がんに罹患した人がいる事もリスクを増加させます。ほぼ確実と言われているのは、閉経後ホルモン補充療法、過度なアルコールの摂取、喫煙、早期初潮・晩期閉経などです。
逆に初産年齢が低いほど乳がん発症リスクが低いようです。そして、授乳期間が長いほど発症リスクは減少します。また閉経後の女性では運動もリスクを下げるようです。
食事では大豆食品、乳製品などは乳がんになるリスクを下げる可能性がありますがその摂取量については明らかではありません。現在サプリメントで乳がんになるリスクを下げるものは分かっていません。²⁾
Ⅴ 乳癌の症状
乳がんは痛みを伴う事は決して多くなく全体の主訴の数%と言われております。
多くはしこりの触知や違和感でみつかることが多いです。血性乳汁も症状の一つです。圧迫すると乳頭分泌物がでる人は多いですが透明や白色の場合は心配ありません。
赤かったり茶色だったりした場合は必ず医療機関を受診するようにして下さい。
乳頭のがんもありますので乳頭が発赤したりただれたりしている場合は注意が必要です。鏡の前に立って自分の乳房を見た時陥凹している部分がある時はその直下に乳がんができて周りの組織が乳がんに引っ張られることによる現象かもしれません。急にできた陥没乳頭も同様です。乳腺症を伴う場合は乳腺を良く触れるためしこりなのか分かりづらいかもしれません。生理前に大きくなって生理後に小さくなるしこりは腫瘍ではなく乳腺を触れている可能性が高いです。下記は乳がんの好発部位を示しております。乳がんの早期発見には自己検診も重要ですので参考にされて下さい。⁴⁾
Ⅵ 乳がん検診
わが国では1987年に30歳以上の女性に対して視触診単独の乳がん検診が初めて導入されました。その後2000年から50歳以上の女性に視触診+マンモグラフィが、さらに2004年からは同様の検診の対象が40歳以上に拡大されました。ただし乳がん罹患率のピークである40歳代では乳腺濃度が高いため腫瘤陰影が乳腺に隠れてしまい実際にある腫瘤が見逃されてしまう事が少なくありません。そのためデジタルマンモグラフィや40歳代には超音波検査を用いることが検討されています。デジタルマンモグラフィは画像のコントラストが高く乳腺実質の多い乳房においてスクリーンフィルムマンモグラフィより高い乳がん検出率が得られるとの報告もあります。現在かなりの施設で検診のマンモグラフィはデジタルに変更されていますが全てではありません。
また40歳代を対象に、検診時にマンモグラフィに超音波を加える研究がすすめられ、マンモグラフィ単独に対して1.5倍乳がんをみつける確率が上がったとの結果がでております。⁵⁾ただし超音波はそれを担当する検査技師の技量により診断が大きく左右するため現時点では施設によって差が出てしまいます。現在技量を統一し向上しようという講習が全国で行われており、いずれ乳がん検診に加わるかもしれません。
欧米での乳がん検診受診率は70-80%であるのに対して日本では約30%と言われております。検診率をあげ、乳がんの発見率を上げることで乳がんによる死亡率を下げることができることが分かってきております。したがって乳がんによる死亡率を下げるためにはより多くの人が乳がん検診を受けていただき結果としてより多くの乳がんを見つけることが大事になります。
Ⅶ 遺伝性乳癌
乳がんになりやすい遺伝子が最近分かってきております。このような乳がんを遺伝性乳がんといいます。遺伝性乳がんは乳がん全体の5-10%と言われております。⁶⁾そのうち20-30%はBRCA遺伝子異常が関与しているとされています。この遺伝子変異が見られる人には卵巣がんも多発しており、乳がんに関して生涯乳がん発症率は約70%とされております。⁷⁾40歳を過ぎてから乳がん、卵巣がんのリスクが高まることが分かっており、この遺伝子変異をもつアンジェリーナジョリーが予防的乳房切除をした事は周知の事です。同時に遺伝性乳がんについて世間が、自分がどう対処するかを考えさせられる例となりました。現在はこの遺伝子異常の有無を調べることは可能ですが変異があった場合親戚に知らせる?結婚は?妊娠は?娘ができた場合は?など簡単に答えを出せない問題が山積みです。これに対処するため専門の遺伝カウンセラーがおり、静岡県東部地区では現在静岡がんセンターに常勤しております。
なお遺伝性乳癌家系の可能性を考慮するのは次の様な場合です。
・50歳以下の乳癌
・乳癌と卵巣癌の両方の発症
・複数回の乳癌の発症(同側多発・両側の乳癌)
・トリプルネガティブ乳癌
・年齢にかかわらず以下に相当する乳癌
50歳以下で乳がんに罹患した近親者(第1-3度近親者)が1名以上
上皮性卵巣癌に罹患した近親者が1名以上
乳癌あるいは膵癌の近親者が2名以上
・男性乳癌
・乳癌と次の1つ以上の悪性疾患(特に若年発症)とを併発している近親者がいるもの
膵癌、前立腺癌、肉腫、副腎皮質癌、脳腫瘍、子宮内膜癌、白血病/リンパ腫、
甲状腺癌、大頭症、消化管の過誤腫、胃癌
1) | Bloom HJ : The natural history of untreated breast cancer. Ann N Y Acad Sci 114 : 747-754 |
2) | 日本乳癌学会(編):乳癌診療ガイドライン 疫学・診断編.金原出版.2011 |
3) | 日本乳癌学会:全国乳がん患者登録調査報告第29号 |
4) | 東北大学データ:2011-2014年 |
5) | J-START |
6) | US National Institute of Health : Surveillance Epidemiology and End Result. |
7) | American College of Obstetricians and Gynecologists ; ACOG Committee on Practice Bulletins – Gynecology ; ACOG Committee on Gynetics ; Society of Gynecologic Oncologists ; ACOG Practice Bulletin No. 103 ; Hereditary breast and ovarian cancer syndrome. Obstet Gynecol 113 ; 957-966, 2009 |
8) | 日本乳癌学会(編):乳腺腫瘍学第2版.金原出版.2016 |
注釈の無い表の引用は独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センターより |
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