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院長の独り言

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平成26年4月18日

私をここまで医師として育ててくださいました、本荘第一病院会長、小松寛治先生が旅立たれました。

平成26年4月25日

故小松寛治先生のご葬儀で弔辞を述べさせていただきました。(以下、由利本荘医師会報掲載文より)

小松寛治先生を偲ぶ

弔 辞

先生、桜の花が美しく満開となりました。二十六年前の今ころ、「地域と手をつなぐ医療を」という先生の理念のもとに開院を目指す本荘第一病院の新職員の初顔合わせ会が行われたことが思い出されます。病院の窓から、眺められる、「癒しの川」、子吉川の河川敷の美しい桜を目にされることなく、旅立たれた先生とお別れしなければならなくなりました。

先生のご功績は、ラパロ(腹腔鏡)と健診事業に代表され、多くの賞を受賞され、周知のとおりです。先生のライフワーク、「ラパロ(腹腔鏡)」、お腹の中を内視鏡で検査するものでした。おもに肝臓の検査など限られた検査と考えられておりましたが、先生は多くの病気に応用されました。その中でも、治療のタイミングを遅らせないために行われた腹腔鏡検査は、「緊急腹腔鏡検査」として確立されました。また腹腔鏡を治療に応用したい、特に胆石治療にと、二十数年前から試行錯誤されたことは、現在、多くの外科的治療での腹腔鏡の発端となり、先生の独創性によるものにほかならないと思います。多くの医師が日本に及ばず、イタリア、中国、パラグアイ等の海外から先生のもとに集い、研修され、現在、活躍されております。「教科書には嘘が多いから、信用するな」という、先生からの最初の教えは、医学への独創性の重要性を教えていただきました。自由な雰囲気の中でも、距離を置いて見守って、指導いただいたことは有難いことでした。先生は、いつもやさしい笑顔で患者さんに接し、怒られることを見たことがありませんでした。「患者さんを怒らない」という先生の診療で、患者さんへのやさしさ、思いやりという医療者の基本姿勢を教えていただきました。このように先生の人間性の奥深さから学ぶことは多く、先生との出会いは、「幸運だった」と、私だけでなく、多くの医療スタッフが実感していることと思います。

先生は早期発見に有用な健診事業に力を入れられました。特に、胃内視鏡検診は、初夏に、周囲の町に出かけて、早朝5時ころから2時間程度、行われましたが、夏の到来を実感するものでした。胃がんが多い、農村地帯の由利本荘地域での住民の方々を考えてのことであり、また、早朝、日曜ドックは、多忙な社会人のために、健診の機会を増やすものでした。ふるさとを愛したおられた現れだったと思います。

本荘第一病院は「地域と手をつなぐ医療を」という理念のもと、先生を中心にスタッフが一丸となり、成長し、脈々と受け継がれており、今後も変わらぬものと思います。

六年前、小松学校を卒業した?私は、先生とお会いすることがめっきり少なくなりました。スーパーの食品売り場で食材を抱えて、声をかけていただくことがその機会でした。料理をご自分でお作りなることが、お好きなことを、10数年前、福岡の学会にお供させていただいたおりに知りました。福岡中洲でイカの生き造りをじっとご覧になっており、家でもできると一言。旅先で、知った料理をご自宅で作るのだとおっしゃっていました。お会いするたびに、また、おいしいものを作っておられるのだなと思いました。食品売り場でまた、お声をかけてくださるような気がしてなりません。

今後も、私たち、医療スタッフは、先生の医療に携わる姿勢を忘れることなく、精進して参りたいと思います。先生、天上から、これからも私たちをお導きください。心からご冥福をお祈りし、またお会いできる日を楽しみにしております。先生、今日まで、誠にありがとうございました。

平成26425

                    小松学校の一番の劣等生  若松 秀樹

以上が、先生のご葬儀の弔辞です。初めてのことで、無知なままで、弔辞朗読をさせていただきました。先生の生前のお姿をできる限り伝えたいと臨みましたが、緊張のあまり、最後まで、足がガタガタと震え、声が上擦り、皆様に内容が伝わらなかったものと思います。先生が与えてくださった卒業試験だったのでしょうが。

先生のご逝去を実感できない状況ですが、先生を心に深く残し、ご冥福をお祈りいたします。

 


平成26年5月12日

おかげさまで、開院6周年を迎えることができました。

今後とも、よろしくお願いいたします。

平成30年5月12日

本日、おかげさまで、開院10周年を迎えることができました。

今後とも、よろしくお願いいたします。

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